ペルー紀行? 〜次女の運命〜
2000年10月28日ペルー第二の都市アレキパという町へ移動。
ここは日本からのツアーが訪れることがほとんどなく日本語の話せる現地ガイドが
いない、という大都市としてはめずらしい場所だ。
ガイドが英語で説明して添乗員が通訳する、という方法をとった。
しかも大した観光案内もなくこれなら添乗員だけでも説明できるのでは?という程度。
ここでは修道院を見学したのだが、昔この町では長女は嫁に行って子孫を残す、
次女は修道女になる、という習慣があったそうだ。
現代に生まれてよかったと胸をなでおろす人数名。
昼食のレストランでは民族音楽「フォルクローレ」の演奏が。
どうやらレストランやホテルで演奏してチップをもらい、またCDを販売している
らしい。
夕食はホテルのレストランだったのだたそこでもまた「フォルクローレ」が。
昼とは別のグループだったがやはりCDを販売。
部屋に戻り日程表を見ると「フォルクローレを聞きながらの夕食」はなんと
明日の晩ではないですか。
今日の2回のフォルクローレは予定外だったらしい。
すでにフォルクローレはお腹いっぱいって感じ。
ここは日本からのツアーが訪れることがほとんどなく日本語の話せる現地ガイドが
いない、という大都市としてはめずらしい場所だ。
ガイドが英語で説明して添乗員が通訳する、という方法をとった。
しかも大した観光案内もなくこれなら添乗員だけでも説明できるのでは?という程度。
ここでは修道院を見学したのだが、昔この町では長女は嫁に行って子孫を残す、
次女は修道女になる、という習慣があったそうだ。
現代に生まれてよかったと胸をなでおろす人数名。
昼食のレストランでは民族音楽「フォルクローレ」の演奏が。
どうやらレストランやホテルで演奏してチップをもらい、またCDを販売している
らしい。
夕食はホテルのレストランだったのだたそこでもまた「フォルクローレ」が。
昼とは別のグループだったがやはりCDを販売。
部屋に戻り日程表を見ると「フォルクローレを聞きながらの夕食」はなんと
明日の晩ではないですか。
今日の2回のフォルクローレは予定外だったらしい。
すでにフォルクローレはお腹いっぱいって感じ。
コメント