イブなのね

2000年12月24日
今日はクリスマスイブらしい。

でも私は通常通りの日曜日。
午後から習い事に出かける。
そして退職する友人への記念品を買いに行く。
数年前だったらイブに一人で町をうろつくのは
なんとなく寂しくて避けてたような気もするけど
何も感じなくなってしまった。

晩御飯どうしようかなーとうろついていたら友人
(♀)から電話。
「ヒマならご飯でも食べに行こう〜」
即、OK。
家の近所で二人で晩御飯。
「来年こそあんたとイブに食事はしない!」
・・・と同じ会話もすでに3回目。

う〜ん。
来年こそ・・・

忘年会の2次会で上司にからまれた(笑)

「君は結婚する気あるの?それともずっと独身でいるつもり?」
「いえいえ、結婚する気大アリですよ〜」
「じゃあ、なんか努力しろよ」
心配してくれてることは分かるんですけどね。
どんな男がいいんだ、と言われてもなんとも答えようがない。外見的には人様のことをとやかく言える身分ではないのでよっぽどのデブ以外はOK。
しかし中身の話となると・・・

頭のいい男。これが一番肝心。
しかし「頭がいい」=「高学歴(学校歴)」ではない。
ウチの会社には東大のそれも大学院まで出たバカが
腐るほどいる。
とにかくみんな高学歴な会社なので学歴と頭のよしあしが比例しないことはイヤというほど見ている。
(別に学歴を否定しているわけではなくちゃんと両方伴ってる人だってたくさんいる)
ただ、その上司も含め高学校歴を持つ人は往々にして「イコール」だと思っている。
だから私が言うところの「頭がいい」を彼らに伝えることは不可能に近いのだ。

その他にも「付き合いたいけど結婚はしたくない男」とか「大体いいんだけどどうしても許せないポイントがある」とかなかなか現実に結婚に結びついていかないのがこれまでの私なのであります。

おそらく何か、表現するのは難しいけれど、何かがツボにはまれば一気にばく進するタイプだと自分では思うのですが。

ま、いくら私が結婚したいと思ったって一人じゃできないわけだしさ。
なるよーにしかならない。

分かってください、上司様。



生還・・・

2000年12月18日
高熱が出た。

先週の初めから37.5度前後の熱が出て下がらず
会社も休んだり早退したりを繰り返していた。
そして土曜日の朝、38.5度の熱が出てそのまま
再び寝たのち昼ごろ再度検温するとなんと39度。
ものごころついてから最高の熱だった。
咳もひどくさすがに怖くなって辛い体を引き摺って
病院に行くと「肺炎の疑いもあるのでレントゲン
撮りましょう」とさっそくの検査。
幸い肺炎ではなかったようだが。
点滴を打ってもらいながらついウトウトする。
気が付くと点滴は終了していたのだが忙しそうな
看護婦さんたちは気づいてくれず点滴の管に約30cm
近く血液が逆流。
点滴と薬のおかげで熱も下がったものの未だに咳が
止まらない。
高熱と咳と食欲不振でこの1週間で3kg減。

旅行で減った体重が戻ってしまったところで再び
減量成功(?)

電気女

2000年12月7日
静電除去キーホルダーを買った。

私は静電気体質らしい。
冬場、乾燥している時期は特にキツイ。
ドアノブでバチッ、車でバチッと電気飛ばしまくり。
夜帰ってきて車のドアに無造作に触ろうものなら
闇の中に火花が散る。
会社で友達の首を後ろからつついて驚かそうとしたら
指が触れる前に電気を飛ばしてしまったこともある。
その時はさすがに相手もかなり驚いて、
「電気攻撃すんなーーー!」と怒られた。
ごめんなさい。

去年は静電気除去ゴム、というのを買ってみた。
髪の毛をしばるゴムみたいなのを手首につけておくと
静電気を避けられるという。
しかし手首につけてるだけじゃ全く効果なし。
だまされた。
そこで今年はキーホルダーになっているものを
買った。
このキーホルダーで先に電気をアースしておく
という方式。
車から降りてキーホルダーをドアに触れてみる。
バチっと言ってキーホルダーの小窓にキャラクターが
出る。そしておそるおそるドアに手をかけてみると
静電気は飛ばない。こりゃいい。
始めからちゃんとした静電気除去キーホルダーを
買っておけばよかった。
ちょっと安いからってヘンなゴムなんか買う
んじゃなかった。

でもいつもキーホルダーやゴムを持ち歩いている
わけじゃないし、電気飛ばさないようにできる
いい方法知りませんか?

流血

2000年12月6日
手首を切った。

自殺未遂したわけではない。
腕毛を剃っててかみそりで切ったのだ。
手首の小指側の骨がぐりぐりでっぱってるところを
いつも切ってしまう。
特に左手で剃らなければならない右腕をケガしやすい。
大して痛くはないのだが血が止まらなくなる。
いい方法ないかなぁ。
まあ、気をつけて剃ればいいんだけどね。

あ、足首にも切り傷が・・・

病気自慢な人々

2000年12月5日
風邪気味。
軽く頭が痛くて鼻水が出る。

ところで「体調が悪くて会社を休む」って人それぞれ基準が大きく違うようだ。
私は熱なら38度近く出たとか喘息で呼吸困難寸前とか本当に動けないぐらいじゃないと休めない。
少々だるいぐらいだとただの「会社行きたくない病」と自分でも区別が出来ないし、その程度で休んでたら会社行く日がなくなってしまう。

会社に「虚弱体質万年病気」病の人がいる。
常に体調が悪いと言いつづけている病気自慢の人。
本当に具合が悪いとか体が弱そうならこっちも文句はないけど体調が悪いとフレックスして昼から出勤し、居室で大声だして今の自分がいかに具合が悪いか誰かに向かって詳細に説明しまくっている。
元気な私が頭痛がしてくるぐらいの大声で病状説明をするのだ。
私だったらあれぐらい大騒ぎ出来る日は早退したり休んだりする必要ないだろう。
そんな病気自慢が同じ居室に3人ほどいてお互いに自分のほうがより具合が悪い、と競い合っている。
なぜそんなに病弱に見せたいんだろう。
病弱に見せて会社をサボろうとしている、というタイプの人たちでもない。
何でもいいから人に負けたくないのだろうか。

別に病気自慢は勝手にやっててくれていいんだけど
居室ではもうちょっと静かにしてね。


歯医者へ行こう!

2000年12月2日
歯が痛い。
正確に言うと歯茎が痛い。

右下の奥、親知らずが生えかけで止まっている。
25歳過ぎても親知らずが生えなかったので歯医者やってる友達には
「親知らずの欠損なんじゃないの?最近そういう人多いよ」と
言われ油断していた。
それがある日ふと気づくと歯が頭を出している。
そもそもあごが小さくて28本の歯すら並びきらず歯並びが
悪い部分があるのに親知らずなんて出てくる余地はあるのか?と
心配していたとおり、無理やり生えてきた親知らずは隣の歯に
ひっかかってかれこれ3年ほど生えかけ状態で止まっている。
普段はなんともないのだけれどちょっと体調崩すとその歯の
周りが腫れて痛い。
会社の歯科検診でも「隣の歯まで虫歯になっちゃうから抜いたほうがいい」
と勧められ一度は抜歯を決心しかかったのだが、
その歯科衛生士のお姉さんに
「でも、出てきてないから歯茎を切開する手術になるわね。
よっぽど外科好きじゃないと開業医さんはやってくれないかも」
と言われ怯む。
歯が丈夫なので治療した歯も2本しかなくそれも少し削って詰めて
磨いて終わり、という全く痛い目に合わない治療しかしたことがない。
「歯が痛い」というのがどんなものなのかすら知らないのだ。
だから余計に歯の治療が怖い。
今日みたいに痛くなると「歯医者へ行こう」と思うのだが
治ってしまうと「怖いからいいや」と逃げる。
その繰り返しで2年以上経過。
やっぱり抜いたほうがいいんだよなぁ。きっと。
腹をくくるか?
さあ、いつ歯医者の予約する?


取り残されて・・・

2000年12月1日
クリスマスに向けてはしゃぐ街が嫌い。
子供の頃からそうだったような気がする。
自分だけ取り残されてるような気持ちになる。

ま、今は確かに取り残されてるけどさ(笑)
でもそういうことじゃなくて学生時代、自分も
幸せだった時もそうだった。
彼氏とクリスマスは過ごすからそのためのプレゼントを買いに街に出てもやっぱり取り残されてる気がするのだ。なぜだろう。
幼稚園と中学、高校がプロテスタントだったのでクリスマスの1ヶ月前からアドベントの期間に入り、
毎週1本ずつ講堂にろうそくが増えていく。
そんなイベントは好きだった。
別に私はクリスチャンじゃないし商業ベースなクリスマスを批判する気持ちなんてこれっぽっちもない。

きれいにライトアップされて、あちこちに飾りがたくさんついてる街が苦手。
今日から12月。ますますクリスマスモードだなぁ。
なんだか、しんどい。

なんじゃこりゃ!

2000年11月28日
ファン感の写真が出来た。
例の「使い捨てカメラのみ使用可」というやつだ。

ファン感写真撮影会のシステム説明。
1.名前を書いた使い捨てカメラを係員に預ける。
2.記念撮影用に並んでいる10人ほどの選手の間にファンが
  適当に入ってならぶ。(1回10名前後)
3.先に預けておいた使い捨てカメラでお姉さんたちが
  適当に写真を撮ってくれる。
4.撮り終わったカメラを受け付けで返してもらう。

1回に10名前後のファンが一緒に写真に入るのでカメラには記名して
その回に撮った人の分のカメラがまとめてカゴで受け付けに置かれる。
そこでアクシデント発生。
私が預けたカメラが無いのだ。
たしかに同姓の名前の書かれたカメラが1コ残っている。
しかし私の持ってきたものではない。
間違えられたことは確かだが、名前の書き方が違う、記名位置が違う
カメラの種類も違う、なのになぜ間違えるんだ。
カメラがない!と主張する私に「一緒のグループだったと思いますよ」
と必死にその残されたカメラを持って帰らせようとする係員。
「もし違ってたら自分が写ってないことになっちゃいます」とゴネまくり
結局「じゃあ、このカメラでもう一度撮影しますからそれでいいですか?」
と言わせ、どさくさにまぎれて2回撮影会に参加する。

しかーし!
出来上がった写真というのが・・・
遠い、ブレ気味と最悪の撮影状態でせっかく並んでいる選手たちの顔すら
判別するのが難しいほど。
使い捨てカメラだって昼間の屋外で撮ればそれなりにきれいな写真になるはず。
あまりにもひどい。
撮影距離だけでももうちょっと考えてくれれば記念写真ぐらいにはなったのに
持っててもしょうがない写真でしかない。
私たちだってかなり残念だが子供なんて本気でがっかりしちゃうよ、これじゃあ。

残り25枚はオフ会で無駄に撮りまくった写真。
酔っ払いが酔っ払いを写しただけの無意味極まりない写真の連続。
それはそれで笑えるのもあるけど。

そして最初の1枚には見知らぬ子供の写真。
この子のお父さんなんだろうなぁ。
不注意な人は。

趣向を変えて

2000年11月27日
不倫の定義ってなんだろう。
あ、別に私が不倫してるとか不倫願望があるとかいう
わけじゃないので誤解のないように。
大体「私、不倫してるの」なんて他人に言うような女性は多かれ少なかれ
悲劇のヒロインな自分に酔ってるから近寄りたくないし。
本当に不倫してるんなら人知れずやりなさい。

私(♀)が独身で相手の男性が既婚者という設定。
?ふたりで食事をした。
 これは論外だよなぁ。
 好きという気持ちだけで不倫・・・なんていう青臭い論はここではナシ。

?キスした。
 今時キスしたぐらいで誰も騒ぎはしないでしょう。
 ま、はずみで、ということもあるしそこまでなら不倫とは言わないよね。

?寝た。
 う〜ん。ここが境界線なのかなぁ。
 でも寝ただけで不倫した、ってことになっちゃうんだろうか。

相手の男性に対して「結婚したい」と思うような気持ちはなくて
例えば学生時代の付き合いのように、気が合う、一緒にいて楽しい、
の延長線でそういう間がらになってしまった場合も「不倫」という
範疇に含まれてしまうんだろうか。
その程度の気持ちだった場合、既婚の男側としては「不倫」なんて
重たい表現じゃなくてせいぜい「浮気」ってことになるんだろうなぁ。
そのシチュエーションで未婚の女性側から見たらなんて言うんだ?
フリーだったら「浮気」じゃないしね。
でも一方通行でこっち側からだけが「不倫」って言われるのもヘンだし。
難しいなぁ。

私の中では「場合によっては家庭が壊れる」こともありうるぐらい
双方の思いが深くないと「不倫」とは言わないんじゃないかと
思っているわけで。

らしくない日記を書いてしまいました。
近頃いろいろと思うところがありまして。
たぶん続編あります。

初ベイスターズネタ

2000年11月22日
明日はベイスターズファン感。
そういえばプロフィールに書いてるわりに日記に
「ベイスターズ」って書き込むの初めてかも。

友人の娘(5歳)の名前で勝手に出したハガキが
「撮影会」に当選。
子供だと当選しやすいって本当なんだろうか。
しかしこの撮影会、「使い捨てカメラ」のみ使用可
だという。
しかもそのカメラをくれるならともかく自分で用意しなくちゃいけない。
いいカメラで売れるような写真を撮っちゃいけません、という意味なんだろうか。
まあ、選手は商品なわけですけどね。
本当の理由はなんなんだろ。

明日は素直に楽しんできます。

無駄使い

2000年11月21日
木更津に行ってきた。
向こうの研究所は新しく作りが今っぽい。
分かりやすく言うと
「無駄に金かけた公的機関」のようだ。
正面玄関は池に囲まれロビーは水に浮いているように見える。
池には意味不明の赤いオブジェが浮かぶ。
話によるとそのオブジェはデザイン料等でウン千万円かかっているという。
つぶれそうな会社のやることではない。
建物全体にはガラスがふんだんに使われている。
ということはガラスはマメに磨かなければすぐに汚らしくなってしまうわけで維持費もかかるだろう。
それが誰も見てくれないような山の中に建っているのだ。
高台にあるのだが夜になっても窓の外に夜景などない。
全面のガラスに自分の姿が映ってしまうのである。
せっかくのガラスが返って空しさをさそうことになろうとは設計者は気づいていたのだろうか?
やっぱり三日坊主になりかかってるこの日記。
たまには更新してみたりする。

こっかいがもめている。
水かけたり野次ったり大変なことになってる。
いつも思うけど小学校の学級会で誰かが発言してるときにあんなに騒いだら怒られるよね。
まったくしょうがないおじさんたちだなぁ。
でも加藤派は欠席か。
だらしねーなー。つまらん。

明日は朝から木更津へ行く。
バスをチャーターして同じグループの人々と報告会のために行くのだ。
そんなめんどくさいことやらなくてもいいんだけど
ウチの上司は「みんなで」何かするのが好き。
しかも木更津の研究所で懇親会までやるという。
木更津から横浜まで帰るためにはチャーターバスならアクアライン使って1時間だけど公共の交通機関を使ったらなんやかんやで2時間はゆうにかかる。
だから懇親会はパス、と言っても結局帰るのが大変なだけなので結局参加せざるをえない。
どうして明らかにイヤがっている部下と飲み会をしようとするのだろう。

会社に入ってすごく感じたこと。
(いや、入社してすでに6年目なんですけどね)
友達のいない人が多すぎる。
私も友達多い人間じゃないしマメに友人と会う方じゃないけどやっぱり中学、高校、大学、その他習い事の友達、趣味の仲間などなどこの歳まで生きてれば幅広く知り合いは出来るし飲み会だとか遊びに出かけたりとかそんな機会はよくある。
でも会社ではおやぢだけでなく私と同世代の人でも世界が会社関係しかない人がとても多いのだ。
会社がすべて。
どうしてなんだろう。
少なくとも学校時代の友達っていないのかなぁ。
そういう人がエラくなると無理やり部下と飲み会だのゴルフ大会だのをやろうとする。
比較的若いひとだと休日も会社でテニスなんかしてたりする。しかも土日、土日と欠かさずほとんどすべての休日を会社で過ごしている人もいる。
私は休日出勤があるときはいろいろ予定を調節してるのよ。
早起きしたり待ち合わせを遅らせたり。
あなたたちみたいに会社でうろついてるわけじゃないの。
だから休日なのに「ちょっと来ればいいじゃん」とか簡単に言わないで。

どうも近頃不満が溜まってるらしい。

欠航女?

2000年11月6日
やっとペルー紀行書き終わった。

ペルー紀行10でJALのトラブルのことを書いたけど
私は何を隠そう欠航女だ。
飛行機が全部定刻どおり飛んだことのほうが少ない
んじゃないかというぐらい。
(1時間以内の遅れは定刻どおりという)

1)初海外旅行の北欧
 帰りの便で電気系統の故障。次にコペンハーゲン
 から来る便で部品を持ってくる、ということで
 ストックホルムの空港で4時間待機。
2)バリ島旅行
 グアム乗り継ぎでバリへ行く日程。
 成田→グアム間が欠航となりその他のミスも重なって
 バリにいるはずの初日の夜なぜかシンガポールにいた。
3)バンコクトランジットでエジプトへ
 トランジットは1時間の予定がこれまた機体整備中
 (これしか理由は言わない)を繰り返し結局蒸し暑い
 バンコクのトランジットルームに5時間缶詰。
4)モンゴルへ
 直行便がオーバーブッキング。北京乗り継ぎとなるが
 北京の空港というのがシャレにならないところだった。
 そもそもこれは旅行会社の手違いだったのだが。
 この時の旅行会社「世界ツーリスト」最悪だ。
 手違いはする、対応は悪い。
 現地ガイドにも変更の連絡が行ってなくてガイドの言う通りに
 していたら今度は帰れなくなるところだった。
 その上、保障金はおろか旅行社の手違いでこっちが
 立て替えるハメになったお金すらかなり催促するまで
 返してよこさなかった。
 秘境ツアーを専門にしているが「世界ツーリスト」じゃなく
 ても扱ってる所へ行くのなら絶対に使わないほうがいい。
 旅行中のトラブルは何回か経験したことはあったが
 ここほど対応のひどいところはなかった。
 こんなに腹が立つ旅行会社は他にない。
 何度も言うが最悪である。
5)八丈島
 行ったはいいが帰りは悪天候の為全便欠航。
 島流しとなる。

その他もろもろなぜか飛行機、船がトラブる。
これらの旅行にはほとんど同じ友達と行っているのだが
最後には「当機、スターターがトラブッております。」
と那覇帰りの飛行機でアナウンスがあった時に彼女は
「またぁっ!」と私の顔を見て怒るのであった。
別に私が飛行機を遅らせてるわけじゃないのに。(爆)
(彼女は私と一緒じゃないときにトラブッたことはないらしい。
また、彼女と一緒じゃなくても私はトラブる)
ロスの空港ではトランジットが6時間もある。
ふらふらと免税店に入り口紅購入。
カフェテリアでカレーライスを食べる。
お祭りのカレーのような味である。
相棒は醤油ラーメン。
お祭りのラーメンみたいだったらしい。
ヒマすぎてハーゲンダッツのアイスを食べる。
ゲロ甘。
こんなもん喰ってるから太るんだよ!アメリカ人!
ここまで来るのにすでに9時間も飛行機に乗っている
(記憶なし)のでまだロスなのにすでに帰ってきた
ような気がしている。
あと1時間ちょっとで帰り着くような錯覚。
しかしここからまだ10時間のフライトが待っている
という現実に打ちのめされる。

ようやく最後の飛行機JALに搭乗。
飛行機オタクの私は離陸時に映される前方カメラの
映像に見入っていた。
いよいよ滑走路に向けて動き出す。
と、「おいおい、そっちは滑走路じゃないだろう」
というわき道へ機体は逸れてゆく。
機内アナウンス。
「当機、タイヤの空気圧が低いという指摘を受けました。
修理いたしますのでピットへ戻ります。また、近いピット
はいっぱいですので遠くのピットへ入ります」
チリだのペルーの国内線だのプロペラ機だのセスナだの
イヤというほど怪しげな飛行機に乗ってきたのに最も
信頼出来ると思っていたJALにトラブル発生。
空港の果てのピットで修理をして再び離陸待ちからやり直して
飛び立ったのは定刻よりも2時間後であった。
そして爆睡。
離陸後の記憶なし。

それにしてもJALの機内食は不味い。
とうとう帰路に着く。
ナスカ観光から戻り夕食をとったあと22時にホテルを出る。
ロス行きのランチリ航空は深夜1時半にリマを出発するのだ。
ナスカで死にかけた私は空港へ向かうバスのたった20分の間
にも爆睡していた。
ここは南米。
チェックインの手続きも一筋縄では行かないらしい。
あれやって、これやって、あっちに並んで・・・と下手
すると搭乗手続きだけで2時間かかることもあるらしい。
ガイドの兄ちゃんがバスの中で一生懸命説明していた
らしいが何も聞こえず。
いざ空港に着くと意外にもガラガラで手続きもスムーズ。
(だったらしい)
こんなことはめずらしい、とガイドの兄ちゃん。
バスの中から意識不明だった私はここのややこしい手続きを
こなしたはずなのだが記憶なし。
もし、カウンターが混雑していたら無事に通過できただろうか。
免税店を素通りし待合室へ。
爆睡。
やがて搭乗。
爆睡。
機内食のサンドイッチを2口ぐらい食べていた(相棒談)らしいが
記憶なし。
到着1時間前ぐらいに起こされアメリカ入国カードを書く。
しかしそのカードがスペイン語。
英語のカードすら機内にはなかったらしい。
なんかよく分からなかったが適当に記入。(したらしい)
記憶なし。



ナスカの地上絵観光。
ナスカの地上絵というのはリマから小型飛行機に乗って
そのまま見に行くのだと思っていた私が甘かった。
リマからはまずイカという町まで40人乗りのプロペラ機で飛ぶ。
そしてイカからセスナに乗り換え地上絵を見に行くことになる。
しかもイカから地上絵までも片道20〜30分かかるのだ。
我々は10人乗りの比較的大型のセスナへ。
絵を見るため飛行機は旋回する。しかも左右両側の席の人に
見えるように「右」「左」と旋回するのだ。
最初の2つこそ「おお!本物だ!!」と嬉しかったものの
結局は写真やテレビと同じだ、という感想しか持てない程度。
3つめあたりから酔い始め、「オウム」「大きな手」と言われても
「もう、降ろして〜。早く帰ろう〜」状態。
事前に強力な酔い止めを飲んでいたためどうにかリバースは
免れたもののあと2つ絵があったら確実にいってしまっていたであろう。
高山では元気だったのに最後に体力をすべて使い果たした。

ナスカの地上絵はあまり期待して見に行くのはよしたほうがいい。
正直言ってつまらん。
早朝からチチカカ湖観光。
ホテルの前から船に乗って湖へ。
この湖にはウロスと呼ばれる葦で作った島がいくつも浮かんでいる。
湖の真中にはボリビアとの国境があるのだがそんな浮島では
寝ている間に国境越えをしてしまわないのか心配だ。

昼には再びリマへ戻るべく空港へ。
高山病でよれよれの人々はようやく下界に帰れると喜んでいる。

午後2時にはリマのホテルへ到着。
夕食の7時まで自由時間となる。
ヒマだったが靴がないのでテニスは出来ず、プールは季節はずれで
営業していない。
仕方がないのでバスタブにお湯を張ってゆっくり入浴することにする。
ところが高地で抑圧されまくっていた我が相棒は
「ちょっと行って来る」と言い残しホテルのジムへ。
1時間以上も経って帰ってきた彼女に聞くと
「自転車漕ぎを20分やってルームランナーで40分走ってきた」と言う。
夕食時にその話をするとツアー参加者全員に
「バカじゃないの・・・」と呆れられる。
しかし抑圧されまくっていたのは相棒だけではない。
何かタガが外れたようにおねえさんもおじさんもおばちゃんも
ハイテンションで酒を飲みまくっている。
下界でも高地でも同じテンションを保っていた私から見ると
みんな大丈夫か?という気分。
今回の旅での最高高度地点へ向かう。
いつものごとく朝早くからバスに乗り出発。
ガイドがなんやかんや説明していたが爆睡していてなにも聞こえず。

気づくと雪を頂いた山々が迫っている。
ペルーは赤道近いため5000m程度にならないと雪は積もらないらしい。
しかし自分のいるところから雪山は1000m程度にしか見えない。
つまり現在地がすでに3500m以上なのである。
バスが停車したのは4335mの地点。
景色も美しく喜んで写真を撮ったり土産物をのぞいたり
はしゃいでいたのだが、どうも同行の人々の元気がない。
なんと皆高山病になりかかっていた。
そういえば昔、富士登山をしたとき9合目で高山病になり
吐き気に苦しんだ覚えが・・・
そして今、富士山頂よりはるかに高いところにいるのに。
ま、とりあえず今は元気なので高山病の人々は放っておいて
自分は楽しむことにする。

観光地を巡り、、多少の坂道を歩く遺跡などを見て歩くうち
次々に不調を訴える人が増えていく。
その日の宿泊地は標高3800mのプーノという町だ。
夕食は惨憺たる有り様。
毎日毎日、大酒飲んでいたねーさんもおじさんもおばちゃんもぐったり
として食事もロクにとれない。
大酒飲みで旅行中はいつもハイテンションの我が相棒もビールすら飲まず
早々に部屋に引き上げ「バファリンちょうだい・・・」と力なくつぶやく
のであった。
そんな中、私と添乗員のお姉さん二人だけが高山病知らずだったのであった。
いよいよ今日はこの旅のメインともいえるマチュピチュ遺跡観光だ。
早朝から約1時間半バスに揺られ観光列車の出る駅へ。
オレンジと黄色に塗り分けられたいかにもな列車が駅で待っている。
駅にはチケットチェックなどをする車掌のような仕事をする女性がいる。
その一人がイライザに勝るとも劣らないたてロールの髪にマスカラ塗りまくりの
激しいマツゲ。美人なんですけども。
皆でその女性にしばし目を奪われる。
列車内では飲み物のサービスがあるのだがコップが口に運べないぐらい激しく揺れる。
それもしばらくではなくずっとなのだ。
熱い飲み物を頼んでしまったばかりに大変な目にあう。
1時間ほどでマチュピチュの駅に到着する。
遺跡見学を終了し再び列車へ。
アメリカ人らしい団体客の中の女性が一人高山病らしき症状で意識朦朧としている。
気付け薬(ただのアルコールだが)をかがされ、酸素吸入を受けている。
さらにもう一人男性も酸素吸入をはじめる。
揺れる列車の中で私たちのそばを列車の係員が右往左往しているので落ち着かない
ことこの上ない。
女性車掌は「この列車はホスピタルね。私はナースよ!」となぜかはしゃいでいた。
駅からは再びバスで1時間半。
後で聞いたところによるとバスで直接マチュピチュまで行くこともできるらしい。
そしてバスのほうが時間的にも早いのだとか。

無理やり観光列車を使うよりバスのが楽でいいのになぁ。
車掌のおねえちゃんは一見の価値ありだが。

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