神戸の旅?

2001年9月15日
軽く1泊旅行。

今回は土日の1泊で神戸大阪方面へ。
土曜日はGS神戸でオリックス戦、日曜日は甲子園で横浜戦を観戦する予定。

新幹線で新神戸へ。
新神戸で降りるのは初めて。新神戸から三宮に出るのには地下鉄しかないらしい。JRつなげよ。
地下鉄の駅で電車を待っているといきなり
「谷上行きってこっちでいいんですか?」と子供連れの若いお母さんに尋ねられる。
私も初めてここに来たばっかりだっちゅーねん。
ってか新幹線を降りたばかりだから1泊旅行の荷物はすべて肩にかけてたはずなのに旅行者に見えなかったのね、この荷物の少なさは。

とりあえず三宮で地上に出てみるとまるで私を待っていたかのように雨が降り出す。
お昼ご飯を食べたりしてるうちにかなり本格的な雨に。
でも一応球場に向かう。
球場の最寄駅で関西在住の友達と合流。
ダンナさんも来てくれて私としては一緒に野球観戦するのをとても楽しみにしていたのにスタジアム内に入ろうとしたその瞬間に中止。
急遽本日は神戸観光に変更。

ダンナさんが車で来てくれていたので北野でケーキを食べたり三宮でステーキを食べたりした後六甲山の夜景見物にまで連れて行ってもらう。
夜景っても展望台からは霧の海しか見えなかったけど。
六甲夜景見物はリベンジを誓う。

野球は見れなかったけど私としては、とーっても楽しい1日でした。
ダンナさまもお休みのところ遊んでくれてありがとう!

プチミステリー

2001年9月8日
母からの電話。

祖母は一人暮らしをしているのだが娘、息子の家である私の実家や叔父の家にもたびたび数日ずつ泊まりに行く。
先日叔父の家に行った際、ちょっとしたケガで数日そちらの病院に通うことになった。
ケガ自体は大したことはなく1週間かそこらの話なので心配ないようなのだが祖母は自分の家をそんなに長く空けるつもりではなかったので母に「郵便物が溜まってないか見てきて欲しい」と頼んだ。

祖母の家はトイレと風呂場がドアで仕切られていて開けると直接行き来ができるようになっていて風呂場の窓は一部隙間のあるような作りである。

母が留守宅の様子を見に行き、トイレに入ったときのこと。
床には点々と小さな血痕、さらに風呂場のだいぶ薄くなった石鹸には齧ったような痕があるという。
母は不審に思いつつ用を済ませ原因をさがすべく仕切り戸が開け放されていた風呂場のすのこを上げてみると・・・・

そこには可愛らしく首をかしげた状態でスズメが死んでいたのだった!
どうやら風呂場の窓の隙間からうっかり入り込んでしまい風呂場とトイレという密室から出られなくなってしまったらしい。
祖母が家に居ればお互い驚きつつも窓から解放してもらえたものをたまたま長く留守にしたようなときに迷い込んでしまったとは運の悪いスズメである。
何もないと石鹸までかじるんですねぇ、スズメも。可哀想に。

母は一瞬見なかったことにしようかと思ったらしいが虫でもわくといやなので見ないようにしながら始末したとのこと。

風邪気味。

ちょっと涼しくなったと思ったら風邪気味。
そんなにひどくはないけれど喉が痛いのと頭が
ぼーっとする感じ。
この程度は普段だったら自然治癒に任せるのだけれど今週は仕事にならないと困るので珍しく薬を飲んでみる。
会社の友人に勧められた「ドリスタン」
お湯に溶かして飲む、というあれだ。

うーん。
日頃薬を飲まないせいかやたらと効く。
といっても飲んですぐ風邪が治ったわけではなく
滅多やたらと眠い。
通常午前1時過ぎが就寝時間なのだが夕べの記憶は
ニュースステーションのオープニングで途切れている。

はー。
寝すぎ。

昨日の続き。

東京タワーを後にした私は恵比寿ガーデンプレイスへ。
連れの用事を済ませたあとうろついていると
麦酒記念館というのを発見。
ビールの出来るまでとか初めてビールを飲んだ日本人の感想とかよくある展示物だけれど結構面白い。
そして展示場の終わりにはテイスティング・ラウンジが。
有料なのだけれどビール1杯200円、発泡酒なら100円。
飲み比べセットは小ぶりのグラスながら4種で400円。安い。
その辺でジュース飲むよりも安いせいか明るいうちから妙な賑わいを見せている。
私たちも飲み比べセットを注文。
あれこれ感想を述べつつ軽く飲んでアンケートも記入。

そのラウンジ、もう一つ面白いのがサッポロビールのテレビCMをまだ白黒時代のものから年代順にずーっと流している。
「男は黙ってサッポロビール」 うん、なんとなく記憶にあるよ。
でも画像がどっかの砂漠でなぜか手には瓶ビールを持っていてしかもちゃんと栓抜きでふたを開け、どこから出したのかグラスに注いで飲んでいる。
砂漠だよ?
改めて見てみると不思議な状況だよなぁ。

大昔のCMの服装や髪型が不自然なのはもう「歴史」の域に達しているのでそれほどなんとも思わないのだがどうも「痛い」というか「痒い」時代がある。
それは・・・・
15年ぐらい前の映像だと思われるのだが白いTシャツにスリムGパン(シャツのすそは
Gパンに入っている)の吉田栄作ばりの超さわやか青年の横にタンクトップにジョギングパンツ、ポニーテールといういでたちの青年に負けず劣らずさわやかな女の子が駆け寄ってくる、というシーンがあった。
ジョギングパンツ・・・通称ジョギパン。
あったよ、そんな時代。今見るとめちゃめちゃこっぱずかしー!
連れも私と同い年のためそのCMには思わず見入ってしまい、しかも同時に
「痛い!」とつぶやいてしまったのでした。

恵比寿麦酒記念館、入場無料ですのでお近くの方は一度ご覧ください。
かなり遊べます。
今日はプチトリップ♪

用事があって麻布方面へ。
多分はじめて行った土地。
用事はすぐに済んだので目の前に見える東京タワーに向かって歩いてみる。
全く土地鑑のないところなのだがとりあえず見えている東京タワーに向かって直進する。

東麻布や三田の周辺というのはビルや小洒落たマンションが立ち並んでいる間に昔ながらの平屋があったり突然鳥居があったり不思議な街であった。
あてずっぽうに直進していくとなんとなく東京タワーの根元に到着。

東京生まれですでに30歳を越えている私であるが実は東京タワーに昇ったことがない。
今日はドキドキ初体験。
初めてなので今回は下の展望台だけ見学。
そして有名な「根性」と書いてある東京タワーの置物も実在することを確認して大満足。

ところで東京タワーの下りエレベーターはタワービルの屋上までしか行かない。
そこから蝋人形館などのある4階建てのビルの階段を下りていくことになっている。
その下りエレベーターを降りたところには・・・・

思わずタイムスリップしたかと思うような懐かしの
デパート屋上の光景が!
コインを入れると動く乗り物や輪投げ、屋台のような食べ物やがとてもさびれた感じで並んでいる。
そしてタワービルの階段も時代を感じさせる床や壁
「おみのがしなく」と書かれた文字がまた場末感いっぱい。
いやー、いい経験しました。
東京タワー恐るべし。

そして東京タワーを後にした私は次なる目的地へとプチトリップ♪

                   つづく

思い出したように。

2001年8月26日
あ〜、一ヶ月近く更新してない(爆)
ダメじゃんねぇ。。。

さて、今日はメガネを作って来ました。
鼻が低くて異常にメガネの似合わない顔なので外でメガネをかけてることはほとんどないのだが。
近所の新装開店したメガネ屋についフラフラと入ってしまい衝動買い状態で買っちゃった。

出来上がるのは10日後。
早く出来ないかなー。

ちょっとマジネタ。

2001年7月31日
公務員の友人がいる。

今、不法繋留船の始末についての仕事をしているという。
その、解決策というのが私にはどうにも納得できない。
それらの船を集めて一時的に保管する場所を作るという。なぜ?
繋留禁止区域を作るという。なぜ?
禁止区域外なら繋留してもいいってことだよね、それ。じゃあ、真面目に船の保管場所をお金出して借りてる人がバカみたいじゃん。
そんな不法に停泊させてる船なんか駐禁の車みたいに移動させちゃえば?と聞いたら「財産権の侵害になる」という。
でも不法なんだからさー、とさらに聞くと「小型レジャーボートには車庫法がない(購入するときに保管場所の有無は問われない)から」という。
そもそも答えになってないのだが、昔軽自動車は車庫証明が必要なかったが道路に止めてたら駐禁取られたよなぁ。
で、条例の改正をしたいから国に申請してどーのこーのと言っているので船の繋留に関する法律には罰則がないのかと思った。
しかし、罰則はあるのだと言う。
それならばまずは不法繋留してる船の持ち主に罰金なりなんなり罰則を適用するのが最初なんじゃないの?
強制大執行だの保管場所の制定だのって大金のかかることやる前に持ち主の分かってる船だけでも罰則の適用でなんとかして持ち主不明の船にのみ次の行動するのが当たり前なんじゃないの?
そのお金は税金なのよ。
結局彼女から私が納得できるような説明はしてもらえなかった。

ま、強制執行で船を移動させるとか保管場所の工事するとかいえばまたどこぞの建設業者やなんかと
いろいろオイシイ思いできるもんね、公務員さんたちも。
と、思わざるを得ないような行為だね、都庁さん。

ちなみに我が友人は自分の仕事に全く疑問を感じていない。
小笠原に査察、というのに行った話も聞いたけどそれも公共の船ではなく職員数名のために船をチャーターして某作家を呼んで講演会してもらったりしたらしい。しかも就職した直後だ。
何を査察に行ったんだよ。
遊びに行ったとしか思えないんだけどなー。

解放!!

2001年7月27日
やーーーっと辛い7月が終わった。
いや、7月は終わってないけど私の忙しい日々が終わったってことね。

今日は研究所全体の報告会で本社からもエライ人々がいっぱいきてた。
そんで私は今回の運営幹事でずっと会場にいなきゃなんないんだけど、ちょっとは実験の仕込みもしないと先に進まない。合間を見つけては実験してまた発表会場の面倒見て、と大変忙しく走り回っていた。
のに、バタバタと走り回る私の背中に元上司で今は本社で偉くなってる人が
「おおーい。今度横浜にナイター見にいくぞ。金曜日がいいなぁ。日程調べてよ。フレックスで来い」
お誘いはありがたいけど今、言うなぁ!

仕事も一段落して今日ははじけたいような気もしたけど疲れすぎてかえってLowモードに入ってしまい
まっすぐ帰宅。

でも、いいんだー。
来週はお遊び週間♪

直前告知

2001年7月1日
7月が忙しいらしい。

報告会、勉強会、TOEIC等々・・・。
毎週何かしら面倒なことがあってそれぞれ準備が必要。
しかもすべて今週になってから急に言い渡された。
7月なんて気分は夏休みモードじゃん!
7月中に旅行計画入れちゃうとこだったよ。
たまたま友人との予定が会わなくて9月にしたんだけど、そうじゃなかったらドタキャンになっちゃうじゃない。
ウチの会社はいつも、そう。
本当に重要な昇格試験のアナウンスも2週間前ぐらいだったりする。
その時期に海外旅行の予定入れちゃってたひとが大モメにモメたこともあった。
一応、会社としての組織は大きいんだからそういうことはきちんとして欲しい。

人の予定を何だと思ってんだ!!

なんで?

2001年6月23日
病院に行った。

ちと気になることがあったので病院に行ってみた。
だいぶ前から行こうと思いつついつも症状があるわけじゃないのでつい先送りしてた。

結果としては心配はないけど自分として一番問題なことは解消しようがない、という結論だった。

しかし病院っていうのはなんでこんなに疲れるんだろう。
ちょっと検査もしたけど内臓系じゃないので大したことやったわけでもないし。
全部で2時間もかかってないのに帰ってきたらぐったり。

次は問題アリな親知らずを抜きに行かなきゃ。。。

未確認

2001年6月22日
今日はスポーツクラブに行けなかった。

というわけでベンチで寝るおやぢは未確認。
土日は寝てないのかなぁ。

昨日と同じ・・・・

2001年6月21日
スポーツクラブは駅ビルの裏にある。

駅ビルっていうか駅前のデパートなんだけどね。
駅前の大通りからビルの角を曲がったところにスポーツクラブがある。
昨日、泳ぎに行った帰り大通りから脇に入った側の歩道とビルの間にあるベンチでおじさんが寝ていた。年の頃50歳ぐらいか。
普通のサラリーマン風のスーツの人なのだがキチンと靴を脱いでそろえてあって鞄を枕にあお向けにまっすぐベンチで寝ていた。
酔っ払ってんのかなーと思いつつ当然素通り。

今日の帰り道、また同じ場所の同じベンチにおそらく同じ人が同じ姿で寝ていた。
昨日から寝っぱなしじゃないよね?
まさか・・・ってことはないよね?
行く時には気づかなかったってことはいなかったんだよね?

まさか、ってことはなさそうなんだけど連日あんなとこで寝てる人って何なの?
別にホームレスって感じでもないし。
しかもまだ午後9時ぐらい。
そんなに酔っ払うには早くない?

明日も見に行ってみようかなぁ。

ヘソ曲がり

2001年6月12日
コンフェデ杯とかいうのが終わったらしい。

サッカーが嫌い。
以前は別に興味がないだけでどうでもよかった。
が、Jリーグ発足時の騒ぎようったら!
日本中の若い女はみんなサッカー(選手)ファンであるかのような報道。
もちろん本当のサッカーファンには何の文句もない。
しかし昨日までサッカーなんか見たこともなかったような奴らがこれからはサッカーの時代だ、みたいなことをわめく。テレビも連日サッカーサッカー。
それが何年もたたないうちにチームが倒産するような事態に陥った。
所詮そんなものよ。あれだけ騒いだって本当にサッカーが好きで見てる人なんてほんの一握り。
とそこまではまだ許せたのだが。

今度はワールドカップ。
するとまたどこから湧いてきたのかまたもや日本中サッカーファンだらけになってるじゃぁありませんか!
再び連日サッカーサッカー。
まあオリンピックの時なんかは普段見てないような競技にも一生懸命応援しちゃったりするから報道が多くなるのは別に構わない。
だがどうしても許せないのがあのうるさい実況と熱烈なサッカーファンのような顔をしてフランスまで行っちゃったりするサポーターとやら。
あんなに大勢、1泊3日でフランスまで応援に行くほどの熱狂的ファンがいるのにどうしてチームが倒産するほど観客動員が少ないんだよ。
実況中継で騒ぐアナウンサーも応援してる人々も結局心がこもってないっつーか本当のサッカーファンじゃないのがミエミエ。
どうしてサッカーにわかファンって自分は熱烈なサッカーファンだというようなポーズとりたがるのかしら?
だから鬱陶しい。

なんだかサッカーって妙な報道のされ方をしてるような気がする。
要するにサッカーの騒ぎ方が嫌いなんだよね、私。

来年は日本でワールドカップ。
間違いなく「フーリガン」もどきのアホどもがたくさん出てくるだろう。
横浜で試合があるなんて冗談じゃない。



テレビカメラ

2001年5月29日
他の人の日記を受けて書くのはどうかと思ったのですがやっぱり書きます。

まちるださんの日記にあった「テレビカメラ」のこと。
私は以前、沖縄で台風に会い離島へのフライトがキャンセルになってしまったことがあります。
その時旅行会社に払い戻しの請求をする為の欠航証明書をもらいに空港のカウンターへ行きました。
私も一緒にいた友人も全く気づいていなかったのですが台風ニュースの一コマに撮られていたのです。
旅先だったので自分たちはテレビも見ておらず知らずにいたのですが、同行した友人は妹さんに、私は友達やめったに顔を合わすこともない他講座の教授に「沖縄行ってたでしょ」と言われたのです。
テレビを見たという友人に詳しく聞くと画面いっぱいに(!)私たちの顔が映っていたとのこと。
雑踏の中の一人ならともかく誰が見ても分かるような撮影の仕方するのなら事後承諾でもいいから一声かけてくれるべきなんじゃないの?<カメラマン
その時は別に誰に見られて困る旅行をしてたわけじゃないから良かったけど。

それとも今の時代、どこでカメラが回ってても映りたくなかったら自己防衛するしかないのかしら?

発芽ダービー!

2001年5月27日
種まきをした。

今回蒔いたのは「おじぎそう」と「ふうせんかずら」と「わた」の種。
おじぎそうは去年1ポット100円で売ってた苗を育てていて気づくと花が咲いて種がいっぱい出来ていた。
ふうせんかずらは近所の家で「種はご自由にお持ちください」と書かれた実がたくさんあったので頂いてきた。
そして「わた」
以前から綿を育ててみたいと思っていたのだが種がなかなか手に入らなかった。
3年ほど前某所の某店に綿の実が飾ってあったのを見つけた私はこっそり実の中を探って種を2粒ゲットし、外見上は何事もなかったように戻しておいた。
せっかく種を手に入れたのにすっかり忘れていて引出しの中に3年も放置されていた。
そんな種なので芽が出る保障はなし。

ところが予想に反して「わた」が一番に発芽。
しかも2つともちゃんと芽が出た。
現在ふたば。
オジギソウもたくさん蒔いたのだけれどまだ2つしか芽がでない。
がんばれ、ふうせんかずら!未だ発芽せず。

さあ、無事に育つか。。。


すっかり旅行記。

GW恒例の沖縄へ出発。
恒例なのは私だけなんだけどね。

10時40分発ANA85便沖縄行き。
搭乗口ロビーでコーヒーなど飲んでいると隣のカップルが美味しそうなカツサンドを食べている。
しかし我々の予定では飛行機は那覇に13時に着いて島へ渡る船は16時だから那覇で沖縄そばとかチャンプルーを食べようということになっている。
ちょっと遅めの昼ご飯だけどおいしくいただく為にも今は我慢。

さて10時半ごろになってようやく搭乗開始。
遅れ気味だなあと思いつつ機内へ。
ところが乗客の搭乗も終わりドアが閉められても動き出す気配がない。
たとえ滑走路が混んでいてもピットから離れないのはおかしい、と思い始めたそのとき機長からのアナウンス。
「那覇地方濃霧の為、多くの飛行機が着陸出来ずに九州地方へ引き返しております。沖縄上空混雑と着陸の目処がたたないため離陸許可が下りません。今しばらくお待ちください」
なんだとーー!!
だいたい沖縄みたいなあったかいところでどうして飛行機が下りられないほどの霧が出るんだよ!と
友人と怒っていると再び機長。
「沖縄地方でのこのような濃霧は10年に一度ということです」
おいおい・・・
結局85便が羽田を飛び立ったのは12時過ぎ。
那覇での昼食を楽しみに食料を持ち込まなかった私たちは離陸前から空腹状態。
昼をはさむフライトだったのでお弁当を持ち込んでいる乗客も多い。
あー、カツサンド。。。

3時間もあるはずだった船との乗り継ぎ時間も間に合うかどうかの瀬戸際となりダイビング機材の重たいバッグを引き摺って泊港を走るハメに陥ったのでありました。

久々の欠航女全開状態。

GWだもんね〜♪

2001年4月30日
明日から沖縄。

慶良間でダイビングしてきます。
4月は14,15日も神戸に行ったし、3月末のアメリカから2週間ごとに飛行機乗ってるなぁ。
出かけまくり。

ちょっとお天気が心配。


あくありうむ

2001年4月11日
最終日は雨。

今回のアメリカ行きでは学会最終日の午後しか自由時間がなかった。
予定としてはつまらないと言われている「ミシシッピ−クルーズ」に出かけるつもりだった。
しかーし。
最終日は前日までに輪をかけた寒さ+大雨。
よっぽど日頃の行いの悪い人がいたに違いない。

仕方がないので近くの水族館に行ってみる。
珍しい魚もいない地味な水族館。
でも水槽の向こうの方にいる魚に気を取られている時に目の前をエイ(しかも裏側)に横切られて本気で驚いたり、連れが黄色やオレンジのカエルを見て腕に鳥肌立ててたり、ワカメみたいなタツノオトシゴがいたり結構楽しい。
ここでは大きな白いワニが目玉商品らしい。

私が気に入ったのはクラゲの水槽。
体内に電飾入っているようなクラゲがふらふらと泳いでいる。
「絶対このクラゲは電波受信してる」と確信した私たちは水槽に手を当ててクラゲからのメッセージを受け取る。
聞こえる、聞こえる。
クラゲの言葉が聞こえるよ。
でも、英語だから意味が分からない。
アメリカのクラゲは受けた電波を英語でメッセージとして送り出しているらしい。
・・・などとヨタ話をしているうちに「EXIT」
もう終わりかい!

クリオネが居なかったので減点20。


寒波

2001年4月9日
さみ〜〜!!
 ↑
ニューオーリンズにて。

向こうは今ごろだったら日本より1ヶ月先ぐらいの気温と言われてた。
3月末だからGWごろの気候になるはず。
だから半そでのブラウスに軽い長袖の上着、とか薄手のカーディガンとかそんなものしか持って行かなかった。
そしたらなにさ!
ニューオーリンズでいうところの1月の気温。
もちろん日本の1月よりは高めの気温だけど
私の滞在中、ずっと寒波が来てたんだと。
朝、テレビをつけて天気予報を見るのだけれど気温が華氏で表示されているのでよく分からないし。
幸い学会場はホテルから徒歩3分ぐらいだったので朝は寒さに耐えながら会場に行き、終わるとダッシュでホテルに帰る。
夕食を食べに街に出るときは日本を出発するときに「邪魔かなぁ。成田空港にあずけて行こうかなぁ」と迷った厚手のジャンパーが大活躍。
ホント、あのジャンパーがなかったらホテルに引きこもりだったね、きっと。

教訓;海外旅行の時は天候調査は慎重に。

今回のニューオーリンズ行きは学会参加のため。
でも発表するわけでなし、うろうろと会場を漂ってるだけでした。

英語の分からない私は初めから口頭発表はパス。
会社でもポスターセッションしか見ません、と宣言してきたからいいよね。
そのポスター会場でもすべてが英語(当たり前)なので2,3演題読んでるうちにすぐ力尽きる。
結局デジカメですべての説明文と図表を写真に撮りまくるだけになってくる。
しかも後ほど解読しやすいように小分けにして撮るので1演題につき写真が5〜10枚にもなる。
日によっては1日に150枚もの写真を撮るハメになってしまった。
写真の整理だけで2時間もかかる日があったりして
それはそれで結構大変だったりもする。
質問したくても言葉が不自由なのでかなりじれったい思いもした。
とにかく早く学会が終わることばかりを願っていたのでした。5日間もあったのよ。長すぎ。

学会の話なんか書いてもつまんないなぁ。
明日はニューオーリンズの街について書いてみよう。

< 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索